快晴 久しぶりに凍れた。
凍ってるうちに重機を出してきて、雪山つぶし
サブフィールドは99.99%溶けました。
朝一、珍しく子犬たちだけで寝ています。
Tag Archives: 3/9
雪解け進んでます
雪解けが進み、最悪の状態
何もできません。
道路は進入禁止
午後からお山へ
ウィークリーU人セミナー
今日は、ウィークリーU人セミナー。
ホントは、1度2度クラスだったんですが、明日から大阪ブロック遠征の今野先生のトレーニングになるよう2度3度クラス。
しかし、暖気で雪がザクザク、まるで砂の上を走ってるようで、皆さん大変でした。
防音工事終了
防音工事のために設置されていた足場が撤去されました。とってもスッキリ!あわせて今日はゴミ投げにも行って、スクールは少し小ぎれいになりました。
今日はとっても暖かく、雪解けも進みました。排水作りに終始。
アニー選別3/9
家庭犬の訓練 6
☆☆☆ 道具 ☆☆☆
状況を支配する
手も足も出ない状況で犬を訓練したりはしません。犬には首輪を付け、その首輪に引き綱やヤードを付けます。それらを取り外すのは、人の働きかけに犬が確実に答えてくれるのが実感して持てるようになってからです。綱やヤードは、叱る意味で用いる場合はショックを犬に与えるように強く短く引きます。強制の意味で用いる場合はゆっくりと、そして始めは弱く次第に強さが増すように力を加えます。叱る場合は犬の心に働きかけるように、強制する場合は犬を心を持たない物を扱うように使います。
首輪と引き綱
訓練における最も基本的な道具です。どんな物であろうと当人が使いやすい物が一番なのでしょうが、私は手に馴染みやすい革製の物を薦めます。ただし、革製の物は簡単に咬みきる事が出来るので、長く犬を係留しておくには不向きです。首輪はストッパーが付いた引くと締まるタイプがお勧めです。繋がれている犬によく使われている、ズボンのベルトのような首輪の長さを固定するタイプの物は訓練には不向きです。
綱で叩くと綱を嫌いになると良く聞かされます。確かに叩かれるのは犬もイヤです。その為に使われる綱に嫌悪感を持つのはさもありそうな話です。しかし、同じ綱で犬は大好きな散歩に連れて行ってもらえます。どうしましょう?綱に嫌悪感を持てば良いのでしょうか好きになれば良いのでしょうか?犬が反射と反応だけの動物ならこれは大問題です。しかし犬はそれだけの動物ではありません。痛い思いをしたのは綱があるからではなく人の意図だという事、そして更にその意図は何かを伝えようとしたものである事まで犬は理解出来ます(イラスト15)。
スパイク首輪
内側にトゲの付いた首輪です。小さな力でスパイクの効果を得る事が出来ます。道具は何でもそうですが、使い方です。スパイク首輪もそれを付けるだけで、犬が引っ張らないようになるわけではありません。あくまでも犬に人の要求を伝える道具でしかありません。スパイク首輪は力の無い人が用いるのに適していますし、力の無い人は用いるべきです。スパイク首輪を用いる事によって、力の不足から来るタイミングのずれをカバー出来るからです。自動車でいえばパワーステアリングにあたります。犬に強すぎるショックが加わる事を懸念する必要はありません、心配なら力を加減すれば良いのです。
チェーンカラー
鎖で出来た首輪、スパイク首輪ほどではないですが、普通の首輪より小さな力で大きな効果を得る事が出来ます。良くチェーンカラーをすると毛が切れるという事を聞きますが、訓練で使う限りはそういう事はありません。
ヤード(利用するか依存するか)
十メートル前後の紐の事です。六ミリから八ミリの径の物が使いやすいようです。紐を買って来てナス管を取り付ければ簡単に自作出来ます。ヤードは呼んでも来ない犬の矯正に良く用いられます。来る見込みが無いのに繰り返し犬を呼びます、それは人から犬に対しての働きかけのはずですが、犬はその人の呼びかけを通りがかりの車のクラクション程にも受け取っていません。このような場合はヤードを付けて、それが付いていないと手も足も出ないという状況をひっくり返します。人の呼びかけが単なる音楽ではないという事を犬に知らせるのです。逆に、ものも言わずにヤードを使う事も良くありません。ヤードに依存するとヤードが付いてないと言う事を聞かなくなってしまいます。
ヤードをつけたとたん名犬になり、隙を見せない犬もいます。この場合も知らず知らずの内に人はヤードに依存しています。ヤードが犬を束縛する結果になっています。決してヤードの有無を見破る犬が賢い訳ではありません。また、引き綱ですが付けただけで要求もしないのに犬が引っ張らないで歩く、これも正常な形ではありません。要求してない時犬は引っ張るのが本当です、それが犬の自由で自然な姿です。
☆☆☆ おわりに ☆☆☆
訓練によって
ごく普通の愛犬家の中にも、私たちと同じように事もなげに犬を取り扱う人がいます。そうかと思うと犬の取り扱いを非常に難しいものにしている人もいます。何故そうなるのか良く分かりませんが、その一因として犬のとらえ方、犬に対する考え方があると思います。例えば、良く餌を見せてスワレを教えます。餌があればやるのに餌が無いとやりません。これを犬が座る座らないは報酬のあるなしだとか、あるいは犬はやる事が分かっているのだけどやる気の問題だとか、あるいは服従心に欠けるからとか、あるいはそれは飼い主がなめられているからだとかいわれます。また、仮に犬がやっても、それは叱られるのがイヤだからしたとも良くいわれます。私はそういう受け取り方はしません。これが人なら別です。人ならやる事が分かっていても報酬を考えてしなかったり、その時の気分でずるしたり、あるいは命令した人への忠誠心から行ったり、その他諸々を考慮します。しかし犬の場合私はこういう考慮を全くしません。犬に何を要求されているかの認識がまだ出来ていないと考えます。人の要求しているのは、餌がある時には座って餌が無い時には座らなくても良いという事ではなかったはずです。[U人1] それが伝わってないと考えます。
このテキストでは簡単な訓練、脚側行進と停座、伏座それに休止と招呼を犬に教える方法を紹介しました。犬は一通りは「アトエ」「スワレ」「フセ」の要求に答えるはずです。しかし、犬の頭の中に完全に明確に要求されている事への認識が出来ているわけではありません。ただおぼろげに分かっているに過ぎません。それを人のような完全に明確な認識にする事は出来ないと思います。しかしそれに近い形にまで認識を強化していく事は出来ます、訓練を続けるのです。「タッテ」を教えてみて下さい。脚側行進の途中で停止すると同時に「タッテ」と合図し立つ事を要求します。また、停座待機で犬から離れて向き合ったら「フセ」や「タッテ」を要求してみて下さい。あるいは伏座待機から「スワレ」や「タッテ」を要求するのです。様々なバリエーションで訓練を重ねる事です。
家庭犬の訓練ではどの犬も二ヶ月で私の言う事を聞くようになります。私の要求には答えてくれます。しかし、家庭犬の訓練の目的は私の言う事を聞く事では無く、飼い主の言う事を聞く事です。従って今度は飼い主に訓練の練習をしてもらいます、その期間は一ヶ月から二ヶ月です。飼い主の言う事も私同様聞くようになり、それで卒業です。その時私に聞く人がいます、家へ帰っても大丈夫でしょうか、ちゃんと言う事を聞いてくれるでしょうか?残念ながら大丈夫ではありません。大丈夫かどうか飼い主自らが手応えとして分からなかったら大丈夫ではないのです。働きかけたら犬は答えてくれる、これが手応えとして感じられなければならないのです。これが心のきずな、信頼です。答えてくれてる以上犬にはその用意が出来ています。しかし、大丈夫かどうかをたずねる人の方にはまだ出来てないようですね。
訓練で犬は変わります。繰り返されるやりとりを通して人の要求を知り、答えてくれるようになります。しかし訓練でそれ以上に大切な事は、相手が答えてくれるという確信です。相手に自分の気持ちが伝わっている実感です。これらは生活の中でも、犬とのやりとりを通して得る事が出来るかもしれません。しかし、それははなはだ気まぐれで成りゆき任せです。訓練では課題を作り人工的に状況をコントロールする事でより確実に、そして様々なバリエーションでゲームのように楽しみながらより早く、それらを得る事が出来ます。
訓練の汎用性
私は訓練に汎用性を求めてきました。誰にでも出来うる、どんな犬にも通用する訓練です。職人的な感や熟練した技術を必要としないで、ある程度練習しさえすれば(そう車の運転ほどの練習で)誰でもが出来る訓練です。そして、例えばボールに興味を示すとか、餌に特別いやしいとか、どの犬もが必ずしも持っているとは限らない資質ではなく、どの犬でも持ち合わせている資質を前提とした訓練です。それは例えば人への信頼です。
元々私の訓練は犬を動かす事でした。犬自身の認識など全く考慮しませんでした。いかに迅速にいかに喜んで作業させるかが常に私の課題でした。それには極めて微妙な呼吸、タイミング、間、犬の集中力を引き出す絶妙な人の動きが要求されるのですが、ほとんど生まれた時から犬(それも訓練犬)と一緒に育った私には、ごく自然に身についていたようです。そんな私に転機が訪れたのは犬と離れていたからです。しばらくぶりに動かす犬は微妙に違っていました。思うように犬が動かないのです。感覚だけに頼ってきた私の訓練が壁にぶつかったのです。この壁を越えるには、昔の感覚を呼び戻すか、あるいはもう一度一からやり直して感覚に頼らない訓練を目指すかです。幸か不幸か、感覚は戻りませんでした。それ以来私は感覚に頼らない訓練、系統化された技術、人に伝える事が出来るものを目指してきました。それは恐らく今、ほぼ達成できたと考えています。今のアシスタントはこの仕事に就いてまだ十ヶ月、犬に対する特別鋭い神経や感覚も持ち合わせていませんし、力も私よりかなり劣ります。しかし今、十頭以上の犬をこのテキストに紹介した方法で訓練し、そのどれもが私が訓練するのと同様に喜んで問題無く服従しています。
さて、以上で家庭犬の訓練・取り扱い方や接し方についての私の解説は終わります。目の当たりに私の訓練を見たアシスタントと違って、わかりやすくと願う程ふくれ上がってしまったこの膨大な文字の塊が、果たして貴方に私の意図するものを伝える事は出来たのでしょうか?
平成七年三月四日脱稿 転載厳禁 柳生 昌男
[U人1]餌が無くてもスワレは座る事を要求しているのを犬に伝えるには餌を使わない方が良い