外はひどい雪です。今日は、この雪のため、捜索を途中で切り上げました。行方不明から17日目、今日で山での捜索を終えるつもりです。
(画像:15日目、山に泊まり込む)私の車には、GPSがセットされていて、エンジンをかけると自動的に電源が入り、位置情報が記録されて行きます。2月4日当日のデータを見ようとしたのですが、ところてん式にデータが消されて行くので、2月6日以前のデータは消えていました。GPSのデータを見ると、当日の状況がつぶさに再現されます。データが消えてしまったのは、大変残念なことです。私の覚えている中から、当日の状況です。
(画像は、捜索に使ったスノーモービル)2月4日、水曜日は決めていたわけではないのですが、毎週、猟に行ってました。2月4日も、普通なら山に行く日だったのですが、夜中、目を覚ますと何かいやな気がして、行くのを一旦取りやめました。これが虫の知らせだったのでしょうか。2月4日は天気が良く、午前中に順調にトレーニングも出来ました。時間が余りました。陽気も良い。ちょっとだけ山に行ってくるかという気になりました。昼食は途中で買うことにして、ナデシコを連れて出発しました。
高速に入って間もなく、ジャンクションを過ぎたところで、対向車の人がびっくりしたような顔で運転していました。なんて変な顔してるんだろうと思って、ふと気が付くとパトカーが私の後にいました。今回のことが起こって、思い直してみると4回、引き返すチャンスがありました。最初は夜中いやな気がしたとき、2回目はパトカーに捕まって間が悪いと感じたとき、3回目は山の入り口でスノーモービルの跡を見たとき、4回目はナデシコを離すとき、やめてそのまま行こうとしたとき。神様がくれた4回のチャンスに、ことごとく私は首を振りました。
(画像:16日目徒歩で攻める)紅葉山のセイコーマートで昼食にサンドイッチを買い、運転しながら食べました。美味しいサンドイッチで、パトカーに捕まったのが少し気が紛れました。林道の入り口につくと、スノーモービルの跡がありました。私は金曜日にも来ていますが、そのときはありませんでした。モービルの後だと、荒らされて鹿は出てきません。がっかりしながら進んでいくと、途中の分岐でモービルは、私が行こうとするのとは違う方に行っていました。
(画像:16日目の捜索、鹿道を使って山を移動)ここでナデシコを降ろし、排便させながら私はタイヤにチェーンを取り付けました。金曜日にもチェーンをつけて、誰も入ってない領域に入り、美味しい思いをしています。今日もそのつもりでした。雪は、金曜からわずかに増えただけのように見えました。シュタ7号の分岐に、5ドアのパジェロが止まっていました。私はされに奥に進みます。道には、あずって、さんざん手こずりながら、ようやく引き返した様な跡が、2,3ヶ所ありました。それを過ぎると、金曜に私が入った轍の跡だけになりました。運転は、金曜よりもシビアでした。轍を外すと、轍に戻るのにかなり苦労します。金曜日には、そういうことはありませんでした。
山は、坊主山という山です。林道は、坊主山登山道方面から、国道274号を結んで14㎞あります。
ナデシコは、その丁度中間あたりで行方不明になりました。鹿を追っていなくなるのは、いつものことでした。いつも30分から1時間は、帰ってきません。その間私は、車で別のところを見に行ったりして時間を潰します。戻ると、ナデシコも戻ってくる頃になってました。ナデシコがいなくなったのは3時頃です。若い鹿でした。発砲した際の挙動がおかしかったので、確かめようと思いました。ナデシコがついていったらどうしよう、という気が、ちらりと頭を横切りました。
この画像は、当日の画像です。ナデシコが鹿を追っていった後、暇つぶしに撮ったものです。車の運転席側の斜面を上がってゆきました。いつもなら私は一度、先に行くのですが、当日は道が悪く、あるいは引き返せないかもしれません。そこで、車の中で待つことにしました。いつまで経っても帰ってきません。しびれを切らして、迎えに行きました。
GPSのデータを見ると、探しに出たのは4時頃です。5時頃まで捜しました。思案しました。ここで泊まろうか、とも考えました。食料はあります。携帯も通じます。明日は授業の日、次週の試験に備えて、試験対策をすることになっています。もう一つ、フェリーで着く、スノーモービルを明日引き取りに行かなくてはなりません。ナデシコが戻ったら、ここにいるようにバリケンの中に車のシートを敷き、食料を残して私は帰ることにしました。次の日、バリケンに近寄った形跡はありませんでした。今から考えると、車に戻った公算はかなり高いと思います。今までは、噸でもないところに行ってしまったことはありません、必ず戻ってます。戻ったとすると、あるいは私の後を追ったかもしれません。私の後を追うと、国道274号線に出ます。
(1月4日みんなでハンティングに出かけたときのナデシコ)私は、大変な苦労をして国道に出ました。幾度となく雪で立ち往生しました。スコップで雪を掘り、チェーンをメンテナンスし、ウィンチを使って、這々の体で脱出しました。いつもなら20分程度のところを、2時間ほどかかっています。
ナデシコ捜索の全記録です。捜索の概略
1日目:いなくなった方角の鹿道をたどる
2日目:午後からスノーモービルにて、周回。
3日目;モービルで現場に行き、スノーシューを使って谷筋を。4日目:モービルで現場に行き、スノーシューで林道の反対側を歩く
5日目:明日の徒歩での走破に備えて、モービルでルート付け
6日目:林道を最初から最後まで歩く。一緒に歩いたイチゴ、ジルバ、ジャム。
7日目から14日目まで、捜索できず。
15日目:車で行くつもりも入れず、車から徒歩、山に泊まる
16日目:徒歩で入り口近くの尾根の奥を歩く
17日目:モービルで奥まで行って、尾根の奥を歩く
雪は、毎日少しずつですが増えています。いなくなった直後なら、どうにか車は入ったはずです。今は全く無理です。鹿道以外は、腰まで埋まる固い雪で、埋まると締め付けてきます。何も歩いていない雪原は、100メートル進むのに優に10分以上かかります。山中、鹿だらけです。尾根道、沢渡り、横がけ、鹿道を使って移動します。ナデシコも、そのどこかの鹿道に乗ったに違いありません。
(今日、モービルで奥まで行って山に入る)当日は現場に泊まるべきだった。次の日は、来たスノーモービルを使って捜したのですが、朝一でスタック覚悟で車で入り、山の深い場所を徒歩で攻めるべきだった。今から考えると、ああしとけば良かった、こうしとけば良かったと思うことばかりです。地元の集落はわずかで、山に近いところは一軒ずつビラを配りました。小学校や温泉にもビラが行っているので、すでに知っている人もいました。新聞には広告を出したのですが、近々、地元のワイドショーの只のコーナーで、紹介してもらおうと思っています。最後のノゾミです。
ナデシコは一昨年の2月18日生まれ、うちに来てまだ2年にもなりません。しかし、もっとずっと前から家にいたような気がします。ハンティングはもちろん、魚釣り、夏のキャンプ、アジリティーの遠征、どこに行くのも一緒でした。一緒に寝てるトシ君は別として、ナデシコが私の生活に一番長く係わっていました。
いなくなってから今日まで、当座必要なナゴヤドーム関連と学校の定期試験以外の事は、ほとんど手がつきませんでした。この間いただいたメール、郵便、荷物は返事も出さず、封も開けてない状況です。ご迷惑をお詫び申し上げます。明日から、おいおい通常業務に戻ります。