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北海道ボランティアドッグの会


北海道ボランティアドッグの会 設立総会

北海道ボランティアドッグの会 設立総会議事録

とき  平成八年9月23日(月)秋分の日 午前10時から午後0時
ところ 「光と風の里」(恵庭市)体育館

出席者 柳生 昌男、松本 義一、植田 文子、広内 正彦、新倉 弥生、吉住 憲広、三田 哲也、清水 磨理、小山 信雄、椋野 輝之、本多 弘幸、浅岡 賢一、大沼 由二、田中 哲夫、山口 史雄、後藤 丈嗣、北 孝、長谷川 智子、大沢 久枝、米田 英二、前山 鉄幸、嘉瀬 雄平、岩間 信吉、笛田 玲子、寺田 時雄、中川 洋治、兼古 悟、村上 広美、中村 紀子 以上29名。
委任状参加者 林 昌子、藤田 恵子、湊 毅、佐藤 芳子、田中 路子、後藤 篤雄、米田 英二、田村 大助、古田 かおり、加藤 辰也、秋本 勝美、高田 雄二、松本 克生、庄司 幸一、大久保 紀美子、玉木 祥夫、五十嵐 作雄、小野寺 里絵、鈴木 ゆり、佐々木 政太郎、池戸 一、野沢 利秋 以上22名。
オブザーバー 山田 三郎(救助犬審査員)
設立総会時会員数62名 出席者29名、委任状出席者22名合計51名 総会成立。

総会経緯
1・開会宣言 発起人代表 柳生 昌男が開会を宣言する。
2・議長選出 指名により柳生 昌男が議長となる。
3・議事録署名人選出 議長一任により植田 文子、広内 正彦を選出する。
4・議案についての審議

定款の承認 第6条 「本会の入会に際しては、理事の推薦もしくは理事会の承認を必要とする。」が「本会の入会に際しては、理事会の承認を必要とする。」に修正される。第10条「正会員は、その名称、住所などに変更があった場合は、速やかに本会にその旨を届けなければならない。」が、「正会員は、その氏名、住所などに変更があった場合は、速やかに本会にその旨を届けなければならない。」に修正される。その他の項目については草案通りに承認される。

役員選出 推薦により、以下の者が役員に選出され、承認される。
理事  柳生 昌男、松本 義一、広内 正彦、新倉 弥生、秋本 勝美、高田 雄二、兼古 悟、天内 満雄、小山 信雄、大沼 由二、牧 十郎、
前山 鉄幸、椋野 輝之 以上13名
監事  本多 弘幸、大沢 久枝、北 孝 以上3名
会計  植田 文子
編集局 三田 哲也
事務局 柳生 昌男

事業計画 予算案
1 セラピードッグ登録・・・至急登録を実施する。その詳細はサラピードッグ委員会に一任される。
2 救助犬認定試験の開催・・・日時11月3日4日開催にむけて準備する。詳細は救助犬委員会に一任。
3 会報の発行・・・承認される。
4 会員、ハンドラーの保険・・・承認される。
会の案内誌の作成・・・早急に作成のこと承認される。
捨て犬の保護をする活動をしてはどうかという提案がされる。活動範囲が広くなり過ぎると言うことで見送り。
予算案が草案通りに承認される。
5 オブザーバー挨拶 山田 三郎氏から救助犬認定試験の実施要領及び必要な訓練が紹介される。 設立総会閉会

雌阿寒岳遭難


 午前7時。すさまじい音をあげて風が吹き上げてくる。尾根の右側の斜面は、もろく崩れそうな縁から垂直に近い勾配で、涌きあがってくるガスの中に消えていて、吸い込まれそうだ。もちろん、吸い込まれたら永遠の別れである。バーバは無造作にその縁に立ち、私は強風に煽られながら、ロープを頼りに、もう一息の頂上を目指していた。
 前日午後8時。雌阿寒岳に登った人の遭難をニュースで知る。ガイドブックから、雌阿寒岳周辺の地形を調べる。足寄消防署、現場の本別警察署の係官、本別警察署等に、遭難時のようすと、捜索の状況を問い合わせる。明朝午前6時捜索開始ということで、今から現地に行けばその前に犬を投入できる。明日は救助犬訓練の取材がテレビ局から入っていたが、それは他の人に任せよう。友人で山歩きの達者なマスターから同行のOKをとり、現地の担当者から救助犬のボランティアでの捜索参加の了解を受ける。出発は午後9時、犬はバーバとマスターの黒ラブ、ロック。
 午前5時半。着いたのは2時だった。車の中で仮眠をして、関係者の起きてくるのを待った。昨夜電話で状況を教えてくれた、本別警察の担当者が一番に起きてきた。遭難の状況と捜索の状況を詳しく聞く。
 行方不明になっているのは、遠軽に住む61才の男性O氏。O氏は一昨日(3日)10時半、愛犬「太郎」(10才のアイヌ犬)を伴って単独で雌阿寒岳を目指す。相前後して、同年輩のご夫婦がやはり雌阿寒岳に登っている。当日は朝から雨で、この夫婦は旅館の主人が引き留めるのを振り切って、登って雨に濡れて這々の体で帰ってきたという。この夫婦が2合目あたりでO氏を確認している。更に別の人が13時30分頃、7合目あたりを上に向かって歩いていたO氏とすれ違っている。O氏を確認したのはこれが最後である。
 登山簿の下山時間午後4時という記載から、当初関係者はその時間に下山したものと考えて捜索をしなかった。しかし、それは実際の下山時間ではなく予定時間ではないかという事になり、家族の要請もあって捜索が始まったらしい。4日、登山道の周辺を中心に捜索され、更に午後からヘリによって雌阿寒岳頂上一帯が捜索された。それをふまえ担当係官は、本人の性格、行動力から考えて登山道周辺がもっとも可能性が高いと話してくれた。それに従って我々も登山道周辺を中心に捜すことにする。午前5時半出発。
雌阿寒岳は子供でも登れる安全な山として知られている。この山での遭難騒ぎは今まで起こっていない。登山道入り口から原生林が続き、2合目ぐらいからハイ松が混ざり始める。3合目からはハイ松だけになり、7合目あたりまでハイ松帯は続く。そこから上はガレ場である。野中温泉からの登山道はそのまま外輪山を回り途中、阿寒湖畔への登山道、阿寒富士へのルート二つの分岐を過ぎて、オンネトーへ降りていく。野中温泉から登ってオンネトーへ降りるか、その逆が一般的なルートのようだ。

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 午前7時半。犬の反応がない。7合目あたりには巨石が点在し、その下にビバークという事も考えられたが、この様子からするとその線は無さそうである。8合目から上は巨石もなくなり、ヘリがくまなく捜しているのでそこから先は捜すことも無さそうだ。頂上目前で我々は引き返す。
 時折雲の切れ間から、国道に沿ってラワンの部落が見える。その国道からオンネトーに入る舗装道路が、偶然一直線に見えている。ハイ松帯が緑の絨毯のように広がり、それを削るように沢が走り、その沢から樹林帯が始まって深く広く見渡す限りそれは続いている。あの樹林帯の中に入り込んでいたら、捜すのは非常に困難である。あるいはハイ松の下に風雨を避けて潜り込んだのか、思いを巡らしながら下る。
 午前8時。6合目まで降りたところで捜索隊とすれ違う。山装備の一見して山屋とわかる男性。この人、田村さんと言って帯広山岳会の人。足の運びが軽い。我々は午後から彼と行動を共にすることになるが、彼はこのあと7合目で強い風に登頂を断念して引き返してきている。
 午前8時半。登山道を横切るようにガレの沢が一本ある。登るより下る方が楽である。遭難者はしばしば目先の楽を取る。捜索の警察官が2名先行しているが、この先今来た登山道を引き返しても捜索隊のニオイで犬は使えないので我々もこのガレを下ることにする。
 沢といっても水はない。大雨や雪代の時だけ水が走るのであろう、石が削られてきれいな丸みを帯びている。途中、水の無いナメ滝や、水の無い釜がある、いずれも落差があり、落ちたら怪我をする。心配したが、ロックもバーバもドジは踏まなかった。
 我々は無線を使っている。捜索の指揮本部とはあらかじめ周波数を決めて、連絡を取り合っている。更にロックの首には無線発信器をつけてある。猟犬用のピー音とマイクのついたものである。私のお尻の受信機から、ロックの呼吸音と足音がピー音に混じり常時聞こえてくる。ロックに向かって話せば、私はそれを聞くことが出来る。こちらからは連絡が出来ない。

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 午前9時。沢の所々にある砂地で足跡を捜す。誰かが歩いている。犬らしい足跡も一つ見る。しかし、続いていない。そのうち、先行している警察官に追いついた。追い越す。
 午前10時。沢に水が出てきた。かなりの落差の滝が3個所あった。いずれも高巻きをしてかわす。3個所目を高巻いたところで、作業道に出る。足跡は確実にあるが、どうやらこれはキノコ採りのようである。やがて作業道は林道に出て、更にその林道は国道からの取り付け道路に通じていた。これで1回戦を終える。
 風が強い。雌阿寒岳の山頂を巻き込むように、ガスが猛烈な速さで動いている。阿寒側からの捜索隊は悪天候で捜索を断念した。私たちは雨に見舞われなかったが、幸運だったのだろう。そもそも、ここへ来る道中はずっと雨で、雨での作業は覚悟していた。
 午後0時。作戦会議。これからどこを捜索すべきか、皆で打ち合わせる。意見が分かれる。あらゆる可能性を考えて捜索範囲を広げるか、範囲を絞ってローラーをかけるか、二つに別れる。いずれにしろ、一つだけ確かだと思われたことがある。それはO氏は健全な状態にはないことである。健全なら自力で降りてこれるし、捜索隊に反応できる。
 O氏は犬を連れて歩いている。しかもどうやら、紐につないだまま歩いているようである。犬は10才のアイヌ犬、すれ違った時犬を抱いていたという話もあり、犬の体力はないようだ。O氏の行動力は、あまり無いと私は考た。私は、樹林帯かハイ松の中に居ると考え、そこのローラーを指示する。
 山屋の田村さんは、山頂から続くルート外の沢を指示した。彼はこの山の地形に非常に詳しい。ハイ松帯が遮っているので、山頂から続いている沢以外には、人が入り込むことは不可能だという。捜すべきは山頂から続いている沢に限られる。
 いずれにしろ、どちらも確認はしなくてはならない。ローラーをかける隊と、沢を確認するたいとに別れる。私たちは田村さんと、はずれにある沢を下から攻めてみることにする。

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 午後0時過ぎ。沢の水を飲もうとするバーバを叱る。沢は硫黄臭く、水の底の土は変色している。沢は土石流が流れて荒れている。30分も詰めるとすぐ滝が現れた。80メートルほどの落差がある。両側はハイ松の生え際からすぐガンケである。左に1個所ハイ松が下まで続いていて、それを伝って高巻き出来そうなところがある。そこから滝の上まで行けるだろうが、行ったところで移動は無理だろう。「オーーーーイ」「タローー」今日なんど叫んだ事だろう、ひとしきり叫んで引き返す。
 例え見つからなくても、可能性を一つづつ潰していくことは大切である。居ないことを確認するだけでも意義はある。指揮本部に帰り、次にどこを潰すか検討する。
 午後2時。別部隊は150人規模でローラーをかけている。まだ手がかりはない。6合目にキノコ採りが使う踏み分けがあると田村さんが指摘する。どうやら同行してくれと言うことらしい。やるならすぐ出発しなくてはならない。もう午後2時、山から引き返す時間を考えると限度である。ローラーの方で何か出たら無線で連絡してもらうことにして、又登る。
 犬はとっくに限度を超えている。警察と一緒に作業していた釧路の桑田さんの警察犬は、昼前に作業を終えていたが、その時点ですでに足が腫れていた。バーバもロックも体は無傷だが、疲労の色が濃い。
 午後3時。6合目のキノコ採りの踏み分けとの分岐に、足にマメが出来たマスターを残す。踏み分けの道は所々しかなく、ほとんどハイ松の上を歩く。心配したがバーバはちゃんと付いてくる。雨は上がり、風が強く冷たい。小さく沢をいくつか越すが、その沢には必ず足跡がある。キノコ採りの連中である。驚くべき執念を感じる。
 午後3時半。目的の沢を囲む尾根に出る。ハイ松の上から見渡すと遥か下に、ガレの沢が見える。この落差を降りて、又上がってくるのは気が重い。沢を下っていくと、やがては今朝我々が下った沢に合流する。順調にいけば暗くなる前に、道に出れるかも知れない。田村さんは下ろうと言う。バーバが居るので、田村さんほどの機動力は私には無い。心配なのはガンケである。犬連れの私が、山屋と同等にガンケに対応できるわけがない。今までこのルートを通ったことがあるかと聞くと無いというので、私は下ることに同意しなかった。
 6合目でマスターと落ち合い、腰を下ろす。通り道にあたるのか、すぐ横を猛烈な風が走っている。その風に体を預け、ジュースを飲みながら、遭難者の行方について各自思いを語る。バーバは田村さんに水をもらって喜んでいる。ロックは何が気に入ったのか、斜面に突き出た岩の上まで行って、こちらを見る。発信器の付いた首輪を付けて、それはなかなか様になっていて、写真でも撮りたいところだ。ひとしきり休んで、山を下る。

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 山を下りて、指揮本部に一応の報告をして家に帰った。
 6日午後7時。野中温泉に電話して、警察の担当者に様子を聞く。自衛隊が100人ほど応援に来て、登山道周辺から下に向かって、ローラーしつくしたそうである。再度ヘリも出た。
田村さんが、登山道からかなり離れたところで、O氏と犬の足跡を見つけたそうである。足跡は、相当歩き回っているようだ。明日はそこを中心にヘリを使って捜すそうである。夕方になってにわかに冷え込んできた、部屋にいても寒い。
 7日午後5時。発見の連絡が入る。発見場所は剣が峰。ヘリが捜した地域で、我々は頭から捜索区域から除外していた。検視の結果、死因は凍死。死亡推定時刻は4日午前。犬は健在で、紐につながれて、O氏はその紐を握ったまま倒れていた。
 発見された場所は、私をはじめ、ほとんどの人の予想と違っていた。田村さんは、雌阿寒から派生するすべての沢筋を確認しようとした。その過程の中で、O氏が沢を降りかけて、ハイ松に阻まれて引き返した足跡までが確認された。更に足跡は、かなりさまよっていたという。
 人は、自分の判断に疑問を持ったときパニックに陥る。そうなれば、その行動は人の予想の範囲外である。剣が峰に向かったO氏の行動は、それ以外には説明が付かない。大石の下に頭を隠すように、倒れていたという。O氏はさまよい、疲労こんばいして、休み、眠ったのだろう。濡れたままの体でそれは、死を意味する。

   総括
 捜索は、また徒労に終わった。犬が捜せなかったのではなく、そもそも発見の可能性のある場所に犬を投入できなかったのだ。どこで間違えたのだろう、そしてどう取り組めば良いのだろう。
 1・情報収集= 最終確認 および 不在の確認
 O氏と相前後して登った夫婦が、O氏を確認している。時間的にいって夫婦は、登りでO氏を確認したようだ。ところが夫婦は、同じ経路を引き返したのに下るときにはO氏を見ていない、これによって夫婦が下った時間帯にO氏は、夫婦が下ったルートには居ないことになる、はずなのだがこれは確認されていない。
 また、当日、毎日新聞の人々が登山道を歩いている。それらの人々はO氏を見かけていないのだが、だとすれば、それらの人々のルートと時間を調べることによって不在の確認が出来たはずである。
 その時刻、そこにいなかった事が明らかになれば、確認されている場所と時間とに照らし合わせて、ある程度は動きを予測できる。山すべてを探し回ることは不可能である。犬を投入すべき地点の選定、これが大切である。
 我々が失敗した一方で、山屋の田村氏は執念で足跡を発見している。否、執念ばかりでなく、長年の経験が指示する物があったに違いない。我々には、それが欠けている。
 ヘリが捜した地域は、頭から除外したがそれで良かったのだろうか。他人が捜した捜さないにかかわらず、経路の確認と予測をすべきでだったのではないか。その上で、遭難者の体力と精神状態を考慮に入れて、犬の投入地点を決めるべきではなかったか。
 考慮すべき事は多い。

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