今日は、朝から暖か、雪解けでぐちゃぐちゃ、仕事にもならないので、スキーに
札幌国際、行きは下道1時間、帰りは高速1時間。
やや風が強かったですが、固くしまったバーンでした。
春スキーを満喫は良かったんですが、飛ばしすぎてイヤフォンがメットの間から落下紛失。
痛い出費になりそう
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札幌国際
今年は雪解けが早そうなので、今のうちに
手軽に札幌国際
スキーでお散歩
昨日はとても暖かで、一気に雪解けが進みました。今朝は溶けた雪がまた凍りました。ダンク君スキーお散歩。今朝は良く滑る!
今季最高!
今朝も積もりました。積雪は今季最高となりました。昨日も除雪、今朝も除雪しなくてはならないのですが、タイヤショベルはガス欠。除雪は給油後です。
家庭犬の訓練 3
☆☆☆ 答えを引き出す ☆☆☆
偶然・誘導・強制・叱責
訓練はやりとりです。犬に働きかけ(要求)、犬から答えを引きだし(動作)、その答えにこちらも答える(褒める)。この犬から答えを引き出す方法が大きく分けて四つ有り、状況に応じてこの四つを使い分けます。
その一つは偶然に頼る方法です。何回か命令し望む行動をとった時だけ反応する。あるいは望む行動をしそうな時に命令する、いわゆる機会教育です。例えば良くやるのが餌の時にオスワリ、オスワリといって座るまで与えないで座ったら与える。非常に幼稚な方法ですが馬鹿には出来ません。ある熊牧場の熊は教えられたわけでもないのに、観光客が投げる餌目当てにボリショイサーカスが足元にも及ばないような芸を披露します。
次は誘導です。ボールや餌で釣って、犬がそれを追いかけて気がつかないうち人の望む行動をとらせる、あるいは犬が望む行動をしやすいように人が動く事です。偶然に頼るよりはるかに効率的です。この方法の欠点は、気がつかないうちにやらせてしまうので人の意図にもなかなか気づいてくれない事です。また、犬が行動しやすいように人が動く事は、人が犬を助けています。その助けが人への依存をうみ能動性が出来づらい結果となります。助けすぎると犬は自分で答えようとするのをやめてしまうのです。
三つ目は強制する方法です。イヤな事を無理矢理させます。犬は抵抗します。この抵抗が強力な意識を生みます。また、犬の自主性を無視するくせに最も強く能動性を引き出します。
最後は叱る事です。これはある程度意識づけが出来ている場合、その意識をより強固なものにする為に用いられます。その意識をより所に叱ります。出来るはずじゃないか、分かっているはずだろうという信頼から犬を叱り意識を強化します。犬とのやりとりの上では、答えてくれると見込んで犬と接する方が、出来ないと決めつけて取り扱うより、良い結果を生む事がしばしばあります。信頼される事によって犬は自分自身で答えようとします。そしてそれが犬への新しい評価、信頼へとつながります。
注目していただきたいのは二点。まず、叱る事と褒める事が必ずしも対になっていない点です。人が答える事(褒める)はいずれの場合でも必要です。もう一つは、目的が犬の判断にある事です。強制しても叱っても、それは力で抑える為ではなく犬の判断を作る為だという事です。
誘導
多くの犬は要求に対する確実な認識が無くても、日々の生活の中でその時の雰囲気やニュアンス、あるいは習慣によって伏せたり座ったり人の言う事を良く聞いてくれます。気の利く犬になると、日常の生活のリズムや人の行動から察知して、命令しなくても伏せたり座ったりします。これで十分と考える人もいるかも知れません。しかし例えば、嬉しさのあまり子供飛びつこうとする時「フセ」で伏せてくれたら、あるいはヨソの犬を追いかけようとする時「コイ」で帰って来てくれたら、ふだんの生活で命令もしないのに言う事を聞いたり、食べ物欲しさに難しい芸当をやってくれるより、ずっと助かります。本当にやって欲しい時こそ言う事を聞いてもらいたいものです。それを犬に望むなら、人の要求をその時のニュアンスや雰囲気ではなく、どんな場合でも犬に通じるものにしておくべきです。それが合図です。合図だけで要求を伝える事です。
犬が望む行動をしやすいように人が動く事は誘導です。家の犬は「スワレ」が出来る「フセ」が出来るという中に多いのが、この誘導を伴っている場合です。本人が知ってか知らずか、言う事を聞き易いよう犬に配慮しているのです。例えば、脚側行進の際、朝会社へ急ぐサラリーマンより早く歩いたり、訓練にリズムやタイミングを作ったりしています、これらの行為はすべて誘導です。実際それらの犬が本当に命令だけで行動しているのか:即ち要求されている事への確実な認識があるのかとなると疑問です。これらの微妙な誘導は、しばしば犬自身の本当の判断力を作る上で大きな妨げになっています。犬がやらないからと言って、何時までも餌を使ったり物を使う事も広い意味では、これと同じかもしれませんね。これらの誘導は人の方から先に止めなければなりませんし、止めてみる事です。そこからまた、違った何かを得る事が出来るはずです。
人為的な誘導とは違いますが、日々の訓練の中でも知らず知らずの内に命令以外の事が、人の要求を犬に暗示させている場合があります。例えば「スワレ」の訓練の次は必ず「フセ」だったり、あるいは決まっていつも同じ位置で同じ動作を犬に要求したりする事です。なれ合いです。これも犬が言う事を聞き易いように訓練をしている事と同じです。競技会では犬や指導手の都合は全く考慮されず、指示された場所で指示された動作をしなければなりません。節度と表現されますが、名犬になるのが人や犬の都合では困るのです。
付録に犬の判断力テストを添付しました。そのテストで犬に要求するのは「スワレ」「フセ」「タッテ」だけです。このテストで高い得点を取る事が出来なくても、決してその犬の判断力が低いわけではありません。しかし、高い得点を得る事の出来る犬は間違いなく高い判断力を持っています。時間はかかるかも知れませんが、ほとんどの犬は訓練次第でこのテストで高得点出来る資質は持っています。そして恐らくほとんどの人は愛犬を、このテキストで紹介する方法で訓練出来るでしょう。
強制
強制はイヤなのを無理に行う(させる)事です。イヤがらなければ強制の意味はありません。しかし、犬のイヤがる事をしても大丈夫でしょうか、訓練をイヤがったり無理じいした人を嫌いになったりしないでしょうか?
首輪をつける事、散歩、車に乗る事、フセ、注射、ハウス、手入れ、歯石落とし、お風呂、、、犬のイヤがる事です、しかしこのうち歯石落とし以外は後から好きになりそうです。注射はいがいでしょうが、実験用の犬は毎日点滴していると、自分から手を差し出すようになるそうです。首輪は付けはじめの時はほとんどの犬がイヤがります。綱をつけると動かなくなるのも多いようです。でも、これで散歩に行けるんだって分かりだすと進んでつけさせたり、自分で綱をくわえて持ってきたりします。車に乗る事をイヤがる犬も多いようです。しかしそういう犬に限って、慣れてしまうと逆に車が大好きになるようです。こうしてみると、初めイヤがる事でも後から犬が好きになる事が多いですね、喰わず嫌いの様なものでしょうか?その良さが分かると、イヤがった事があったとは信じられないほど好きになります。人はイヤがる事を無理にさせるのはとか、イヤがるからやめとこって考え、イヤがる事を犬にさせるのに抵抗を持ちます。しかし犬の場合プレッシャーはいつまでもプレッシャーではありません。そこに生じるストレスを解消する事で、逆にそれを好きにさせる事が出来るようです。プレッシャーを与えるからと引き下がる事はないのです。
例えば、散歩が終わって首輪をつけるのに私は良く犬をだまします。犬の好きな物を見せて、それを追いかけてる内に犬は首輪に顔をとおしているという寸法です、通ったところで好きな物を与えます。しかしこれは、こうしているとそのうち犬が、自分からすすんで首輪に顔を通すようになるわけではありません。首輪に顔をとおす事をいやなものとして意識させないだけで、それが好きにはなりません。何故なら犬には、首輪に顔をとおしたという意識は薄く、単に好きな物を追いかけた事しか残っていないからです。訓練で良く餌で釣ったり、物で釣ったりして仕事をさせますが、それが何時まで経っても身にならないのもこれと同じです。犬に仕事をしたという意識が残らないからです。犬はただ単に報酬を手に入れたと思ってしまうようです。
さて良くいるのが、散歩が終わってハウスへ入れようとするとイヤがって座り込んでしまう犬です。無理して入れようとすると両足を踏ん張り抵抗します。どうしましょう?
一:抱きかかえて運んであげる。
二:ご機嫌を取り、入ってくれるよう頼みこむ。
三:大好きな物でつって、気が付いたらハウスの中にする。
四:後ろから親切丁寧に押してあげる。
五:腕ずくで有無を言わさず放りこむ。
犬の能動性が一番出てくるのが五です、これが強制です。有無を言わさず放りこむと、犬は自分から進んで入るようになります。四は面白いですね、自分でハウスに入っていた犬でもこれをやると人の助けを待つようになり、助けてやらないと入らなくなります。二の機嫌を取るのも面白い、「お願い入って」とか「良い子だから」なんて機嫌を取ってると犬はどんどんつけあがって行きます。三は前記の通り効果ありません。
ストレス
人と犬とが生活をしていて、犬が自由にのびのびとして人に親愛的であれば、それだけで人と犬は良い関係と言えるでしょうか? 人が何かを要求して負荷を与えても犬がそれをストレスに感じない事、それどころか喜んでその要求に答えてくれる事、これが人と犬との本当の良い関係だと私は思います。それはオスワリという簡単な事から犯人のあとを追えというような難しい要求(強い負荷)に対してもです。ふだんはニコニコしていてもほんのささやかな束縛(弱い負荷)、例えば耳掃除をするからじっとしていなさい、というような事でさえストレスを感じるのがいます。これは良い関係とは言えないと思います。
シンディー(アイちゃんの子)は叱らずに育てました、というより叱るチャンスがありませんでした。叱られるような事をしませんでした。アイちゃんは叱られました。小さい頃、呼んでも来ないのでこっぴどく叱られました。今では、二頭とも非常に良く喜んで服従します。しかし、アイちゃんがあらゆる条件で喜んで服従するのに対して、シンディは時として人の要求に負荷(ストレス)を感じている事があります。シンディは好きな物は喜んで持ってきますが、捜索の訓練を開始して、捜索物品の持来を要求した時根強い抵抗にあいました。その強制がストレスになったのです。
強制がストレスになるなら強制しなければ良い、というのは事故を起こすから車に乗るなというようなものです。間違いは強制がストレスになるような育て方だと私は考えます。シンディは過保護にしすぎました。強制や叱る事は犬にストレスを与えるからしないで育てるか、強制や叱る事が犬にストレスにならないように育てるかです。私は後者をすすめます。行動への束縛を甘んじて受ける犬に育てて欲しいと思います。強制や叱る事がストレスになるような育て方をすると、ほんのささやかなプレッシャーがストレスになる場合もあるようです。例えば耳掃除をするからじっとしていなさいとか、注射をうつのに犬を押さえるような事です。もっとひどいのになると頭を撫でようとしたら怒ったり、向こうを向いているのをこちらに向けようとしただけで怒りだしたりする犬もいます。いずれも人の意図がプレッシャーになるようで、運命を人にゆだねる事への抵抗です。これらは育て方に起因しています。これらのほとんどは強制や叱る事なしに育てられた犬です。人を咬むようになるのはこういう犬です。
叱りかた
叱る事もやりとりの一つです。叱る事は強い働きかけになります。例えば、いくら呼んでも素知らぬ顔をして好き勝手な事をしている犬は叱るべきです。叱る事は何らかの信号が自分自身に向かってされたものだという事を犬に強く意識づけます。人の必死の呼びかけが、単なる音楽ではなく自分自身へ向かって発せられているのだという事を犬に気づかせるのです。叱る時には犬に答えかたを分かりやすく用意します。そして犬の答えをうまく受けとめてやります。この犬の答えを受けとめる事、すなわちキャッチングが大切です。叱りっぱなしになったり、犬が答えているのに気がつかないと犬は答えるのをやめてしまいます。くどいようですが、叱る事は犬とのやりとりです。犬から答えを得る為に叱るのです。褒める為に叱るのです。
例えば、犬から答えを引き出す四つの方法、偶然、誘導、強制、叱責のうち、偶然を用いれば犬に全くストレスを与える事なく答えを引き出す事が出来ます。それに答えるには、犬に人が答えた事が良く分かるような明瞭な表現、例えばオーバーなジェスチャーで動くだけで十分です。しかし、犬に何らかのストレスを与えたとしたら、それを解消してやらなくてはなりません、多くは不安をいだきます。これを受けとめる事で解消します。抱きしめたり抱きかかえたりして、犬を腕の中でいたわります。犬が脚側にある場合は、やさしく彼女の肩を抱くように肩に手(左手)を回します、右手は犬の首から胸にあります。必ず両手を使います(イラスト1)。
もう一つ叱る事で大切な事は、強く叱る事です。ボールを壁にぶつける事を考えてみて下さい。強くぶつけると勢い良く返ってきます。犬を叱る事も同じです。叱ると吹っ飛んでいってしまうのではないかと考えがちですが、強く叱るとかえってきます。逆に叱り方が弱いと、わざわざ拾いに行かなくてはならない目にあいます。犬をかばって弱く叱ります。犬はミスを繰り返します。すると再度犬を叱らなくてはならない事態が生じます。結果、何回も何回も犬を叱る事になってしまいます。叱る回数が増える事は叱っても効果の無い実績が積み重なり、人の叱りはどんどん力を失っていき益々効かなくなります。その何回か分をまとめて、はじめに叱っておけば足りたはずです。
叱る事が力の誇示になってはいけません。叱るぞって犬をおどす事で服従を求めているとすれば、それは訓練としてはいい形ではありません(訓練とは言えないと言うべきか)。訓練では叱るぞって素振りは見せません、にこにこ笑いながらミスを誘って叱ります。喜んで叱ります。人が犬より優位に立てるのは、そういう様に状況をセッティング出来る立場にあるからです。例えば拾い食いをなおそうと思ったら、意図的に犬が拾って食べるようにセッティングすべきです。犬が拾って食べてるのを見つけてから追いかけたのでは遅いのです。しかし、知恵くらべという本来犬より人の方が得意なはずのこの分野で犬に負け、状況の支配権を犬に取られている愛犬家は結構いるようです。逆に、犬の領分ともいうべき威嚇や暴力という非人間的な分野で、犬顔負けの人もいるようですが。
心を得る
犬に向かおうとする時、猫を追いかけようとする時、子供に飛びつこうとする時、向かうのを止めさせたい時には一生懸命犬を引き止めると思います。綱をピンと張って、それでも遮二無二行こうとする犬を「ダメヨ、ダメ!」と止めるのです。確かに体は手元に残っていますが、心は既にありません。
犬が一人さびしそうにしています。名前を呼びます。犬は喜んで駆け寄ってきます。犬に働きかけて、犬の心を得ました。叱ることも同じです。呼ぶことも同じです。働きかけて犬の心を得る、これも重要な、そして基本的な犬を動かす技術です。叱ったら萎縮する、叱ったらいやいや何かをする、あるいは叱られるからいやいや犬はやっている、どうも叱ることにマイナス指向しか感じない人がいますが、叱ることは強い働きかけになります。そしてその働きかけで犬の心を得ることが出来ます。さびしそうにしている犬に言葉をかけることと、何かに夢中になってこの世に飼い主が存在していたのを忘れている犬を叩くことは、同じ働きかけなのです。そして同じように犬の心を得ることが出来ます。たいていは犬の方から懐に飛び込んできますから、後はそれを受けとめるのです。
強制では犬を物のように扱います。犬は物のように扱われたことに猛然と反発します。答える気持ちが強い犬ほどそれは強いでしょう。しかし、その気持ちが必ずしも人の要求する動きとなって現れるわけではありません。例えば脚側を要求していても、はじめから犬にその場所は分かりません。しかし、人(の働きかけ)に答えたい云う気持ちは形になって表れます。飛びついたり、咬んだり、じゃれたり、これは受けとめます。望む形と違っても、これを更に追い込むことはマイナスにしかなりません。人に答えたい、その気持ちをまず受けとめてやるのです。正確な形には後から持っていきます。回しすぎてもネジは馬鹿になります。答えるすべを知らない犬に働きかけすぎたり、あるいは犬が答えているのを無視したり分からずに働きかけ続けたら、人の働きかけは犬にとって苦痛でしか無くなります。
報酬か答えか
訓練はやりとりです、人が犬に要求し(命令)それに犬が答え(動作)更に人が答えます(褒める)。このやりとり=自分の働きかけに相手が答える事がお互いの心の結びつきを作り、次のやりとりがよりスムースに人の要求が更に明確になります。ほめるのに頭を撫でたり、褒美、報酬という意味合いを込めて餌をやったりします。褒美を使うと犬は次からご褒美目当てに良く言う事を聞くようになるかも知れません。また、ご褒美を目当てにさせて犬を楽にコントロールする事も出来ます。しかし、大切なのは犬に何かをさせる事ではなく何かを伝える事ではなかったでしょうか?ご褒美は犬がそれを目当てにし出した時から、いわゆる足元を見るというような立場で犬に対処しています。暴力ではありませんが力の支配です。その力の背景が無くなれば当然支配力は失われます。褒美を使ったとしても答えるという気持ちが大切です。
例えばドアがあります、ドアを開ければお散歩です。スワレを命令して下さい。座れば褒める必要はありません、ドアを開ければ良いのです。撫でたり報酬を与えるばかりが答える事ではありません。答え方には色々な形があります。ボールや木片など動く物に興味を持つ犬にはそれらを投げるのも一つの答えです。犬は自由に走り回る事が好きです、何かをしたら首輪をはずす事も答えになります。犬からの答えをきっかけに犬から離れたり、犬の元に帰ったりする事でさえ犬への答えになります。思わず出てしまった心からの表現や、心底からの感動などは犬に大きなインパクトを与えます。
気をつけなくてはならないのは犬の答えを見逃す事です。せっかく犬が答えを返しているのに、それに気がつかないでいたら犬の気持ちはないがしろになってしまいます。しかし、何から何まで犬に答える必要もありません。あまり親切に答えていると、知らず知らずの内に犬の思い通りに動いている事になり、いわゆる犬に飼われている状態になるのです。また、望んだ事がすべて叶えられると犬に勘違いさせるのも危険な事です。例えば社会のルールは、いくら全能の神ご主人様でもどうにもなりません。しかし、ご主人様なら何とかなると思い込んでいる犬は案外多いようで、当然そう思わせている人がいるわけです。厳しくする事は犬に対してでは無いようです。アレックは誰が来ても知らん顔して指示された位置でじっとしています。困るのは犬好きのおばさんです、いじらしいぐらいじっとしているアレックを見て「まあお利口さん!」と頭を撫でたりおやつを与えます。誰が来ても知らん顔していたアレックは、誰かが来ると何かを期待するようになります。マナーの良い犬を作るのに日本には大きな障害がありそうですね。
もう一つおちいりやすい過ちがあります。犬に働きかけ、犬から答えを引きだし、その答えにこちらも答える。陥りやすい過ちはこの犬が答える部分です。犬が答えるのを助ける事は大切です、犬には親切にすべきです。しかしそれも程度問題です、助けすぎて犬の代わりに人が自分で答えてしまっては、やりとりは台無しです。人のひとり相撲で、犬は自分の意志を持たないお人形さんになってしまいます。こちらが与えたら次は犬の答える番です。あくまでも犬の答え、犬自身の答えを要求して下さい。
対話の限界
人でも同じですがオシッコをしなさいという要求は、例えばスワレの要求と違って何時でも叶えられるものではありません。また、ご飯を食べないからといって叱って食べさせようとするのも間違っています。体の具合が悪くて歩く事が満足に出来ない犬は、訓練で歩かそうと考えずに獣医さんに連れて行くべきです。何から何まで訓練次第で犬が出来るようになるわけではありません。訓練で出来るのは、犬が要求を理解しさえすれば肉体的にいつでも可能な事だけです。生理に近い事は訓練以外の方法を試みるべきです。[U人1]
例えば、猫を見ると攻撃的になり見境無く咬みに行こうとする犬の、猫を咬みに行こうとする行動は矯正できますが猫に対する攻撃的な性格まではなおせません。例えばフセて待たしている時、その犬の大好きな奥さんが通りかかり、犬はフセるのをやめて奥さんの所に遊びに行ったとします。この場合、大好きな奥さんが通りかかっても伏せていられるようには訓練できますが、大好きな奥さんを嫌いにさせる事は出来ません。一般的な訓練では犬の気持ちまで変えようとはしないのです。気持ちは残したままで望ましくない行動だけ矯正しようとします。例えば散歩の時、ヨソの犬に向かっていく犬や子供に飛びつく犬、猫を追いかける犬には脚側行進を要求します。犬がその要求に答えてくれれば不都合は解消されるはずです。更に招呼(しょうこ)をも訓練しておけば犬と距離が離れていても、いざという時には犬を呼べば問題は起こりません。気持ちや性格を変える事、即ち人格を変える事が出来ないわけではありませんが、ほとんどの場合それは悲劇です。
例えば、犬が不安でいるとき、その不安でいる気持ちを叱って直すことは出来ません。言いつけたことをいやいやするからといって、叱ったり強制したりして喜んでするようにも出来ません。犬に要求できるのは動作だけです。それにともなく気分、感情、精神状態まで犬に要求してはいけません。適切な方法で要求を伝え、犬の答えをしっかりと受けとめてやれば精神状態はおのずと伴ってきます。
訓練は積み重ねです。昨日と同じ今日はなかなかありません。昨日は強い風が吹いていて、今日は子供が近くで遊んでいます。昨日は、たとえ強い風が吹いていても「フセ」は伏せを要求している事を、今日は、近くで子供が遊んでいても「スワレ」は座る事を要求しているのを犬に教える事が出来ます。毎日の訓練を勧めるのは、反復練習して犬の動作を習慣化したいからでは無く、様々な条件でやりとりを積み重ねる事で、人の要求に対する認識を強化したいからです。毎日接している人は気が付かなくても、犬は一年も訓練を続けるとずいぶん変わります。要求に対する強い認識が出来て人の言う事を良くきくようになりますが、それだけではなくそのやりとりの積み重ねで犬そのものも変わります。悲劇ではありませんが、確実に犬の人格は変わるのです。
訓練では感情の流れも制御します。例えば休止(きゅうし)の訓練では、ご主人様のそばにいたいという気持ちはやがて満たされます。要求されたように指示された場所でじっとしていても主人の方から帰って来てくれます。気持ちにまかせて行動しなくても、やがてはその気持ちが満たされる事を体験する事で気持ちの制御を覚えます。しかし、それは決して気持ちそのものを無くしてしまうわけではありません。エネルギーの解放をしばらくの時間抑えているだけです。特殊な訓練では、犬に本能のままに出来るだけ攻撃的になる事を要求します。人はより攻撃的になるように、犬をあおり興奮させます。しかしこの極度の興奮状態にあってもやはり「フセ」の合図で伏せる事も要求します。そして犬はその要求に事もなげに答えるようになります。決して力で犬を抑えようとはしません。犬に能力の限りの攻撃性を要求するので、それに少しでも支障を来す恐れのある事は極力控えられます。では、どうやってその興奮状態を制御するかというと、その興奮状態を逆に褒美という形で犬に提供するのです。
残念ながら、どの犬も同じ知能を持っているわけではありません。賢い犬もいればそうでない犬もいます。しかし、家庭犬として訓練する限り、その差は全く考慮する必要はありません。仮に知能的に劣っていたとしても、多少時間は余計にかかるかも知れませんが、十分な判断力は確実に得られます。人でそうであるように犬もその心の中で、理性と感情とはしばしば対立します。待つ事を要求されていても、飼い主の元に行きたいという気持ち(感情)が、その判断に優る時もあります。たとえ、知能的な優劣があったとしても、訓練によりほとんどの犬に十分な判断力を持たせる事は出来ます、しかしそれとは別に感情は存在するのです。例えば、良くハスキーは馬鹿だと言われます。しかし、簡単な服従訓練では賢いと言われるシェパードやゴールデンよりしばしば早く覚えます。しかし、同時にハスキーはシェパードやゴールデンより感情的なものも強いのです。そして、この感情的なものが強い犬を、犬が慕って来てくれる事を無上の喜びに感じる人が飼うと、待つ事を要求しているのに近寄ってきたハスキーを可愛がってしまい、ハスキーは馬鹿犬になってしまいます。感情的な犬が出来る原因は、しばしば飼い主自身にあるのです。感情の中では主人を慕う気持ちが最も強く、しかもそれは人にとっても快いからです。
[U人1]非常に面白い事にこういう場合は犬を動物として捉えた方がうまくいく